マンション暮らしをしていると、
「置けないもの」が年々増えていきます。
大きな家具、季節の道具、思い出の品。
そして、意外と口に出しづらいのが——仏壇と遺影ではないでしょうか。
仏壇を置く場所がない。
正確に言えば、「物理的には置けるけれど、置くと生活が一変してしまう」という感覚です。
リビングに置けば空間の空気が変わります。
寝室には落ち着かなさが残ります。
来客時には、なぜか気を遣わせてしまうこともあります。
遺影も同じです。
写真立てに入れたまま、出すタイミングを失い、
気づけばクローゼットの奥にしまい込んだままになっている——
そんな経験をお持ちの方も多いのではないでしょうか。
供養を軽んじているわけではありません。
忘れたいわけでもありません。
ただ、今の暮らしに合わない。
その違和感を、私たちは抱え続けています。
都市部では、仏壇を持たない家庭が増えています。
住宅事情の変化、家族構成の変化、宗教との距離感。
ある調査では、首都圏の集合住宅世帯のうち、
「自宅に仏壇がない」と答えた人は約85%を超えるとも言われています。
しかし、問題は「持たないこと」そのものではありません。
むしろ、“増えていくこと”にあります。
両親、祖父母、さらにその先へ。
位牌や遺影は、想いの数だけ増えていきます。
一方で、住空間は広くなりません。
むしろミニマルな暮らしが理想とされ、
「余白」こそが価値だと考えられる時代です。
その結果、
想いはあるのに、置き場がない
という矛盾が生まれています。
多くの方が、同じ言葉を口にされます。
「忘れたいわけではないのです」
「ちゃんと想っています」
「でも、どう置けばいいのか分からないのです」
写真を出せば、空間が重くなります。
しまえば、どこか後ろめたさが残ります。
その間で、私たちは静かに揺れ続けています。
もしかすると、
問題は“供養の心”ではなく、
供養の「形」なのかもしれません。
供養とは、想いそのものです。
であれば、その表現方法も、
時代や暮らしに合わせて変わってよいのではないでしょうか。
このコラムについて
このコラムは、
「人生後半の経験や想いが、次の誰かの役に立つ」
そんな小さな事業を応援する
TAIGA恩送りファンドの実験の一環として書いています。

