60代で、もう一度勉強机に向かう。それは、若い頃の挑戦とは少し違います。

目指したのは国家資格、宅地建物取引士
不動産業界では欠かせない資格で、合否ははっきり数字で示される世界です。

仕事を終え、家族との食事のあとにテキストを開く。
老眼鏡をかけ、過去問を繰り返す。
若い受験生に混じって試験会場に座ったあの日、胸にあったのは
「まだ挑戦できるだろうか」という不安と緊張感、
「ここから新たに何かを始めたい」という小さな希望でした。

結果は――不合格。

通知の紙一枚で、数か月の努力に区切りがつく。
六十代の挑戦は、若い頃よりも重みがあります。
時間の制約、家族への責任、体力や記憶力への不安。
「次はまた一年後」という現実。
だからこそ、報われなかったときの痛みは静かに深い。
けれど、その挑戦は本当に無駄だったのでしょうか。

今日は#2月14日、バレンタインデー。
昨年のこの時期、私は宅建の勉強を始めました。
コーヒーブレイクのたびに勤勉とは言えなかった学生時代を思い出し、若い自分に戻る。
そして今、手元にあるのはチョコレートの甘さではなく、不合格というほろ苦さです。

それでも、感じていることがあります。

若い頃の挑戦は、勢いが原動力でした。
合格すれば前進、不合格なら後退。
結果がすべてだと思っていました。

けれど五十代、六十代の挑戦は少し違います。
努力しても報われない形があると知っている。
それでも、負け惜しみに聞こえるかもしれませんが、経験値は確実に積み上がっていく
感覚があるのです。

学んだ知識。
少し広がった視野。
再び「受験生」に戻った時間。
そして何より、「まだ挑戦できる」という実感。

合格という結果は得られなくても、
挑戦した数か月は確実に自分の中に蓄積されています。
若さは減っても、物語は増えていく。

人生100年時代に、紡いでいく時間はまだまだあります。
五十代、六十代のリカレント教育は、単なる資格取得ではなく、
社会ともう一度つながり直す行為です。
自分の経験を更新し、これからの役割を探す時間だとも言えます。

私たちはつい、「成功しなければ、結果が伴わなければ・・・・」と考えがちです。
まるでバレンタインデイとホワイトデイの関係のように。

けれど本来、贈りものは計算ではありません。
「好意」
「ありがとう」
その気持ちを差し出す行為そのものに意味があります。

セカンドライフの挑戦も同じかもしれません。
合格という“お返し”がなくても、
机に向かった時間は、自分への贈りものになっている。

五十代、六十代の挑戦は、若さの証明ではありません。
生きてきた時間を肯定する行為です。

不合格という結果は変えられない。
けれど、挑戦した事実は消えない。
そしてその経験は、次の選択を少しだけ強く、少しだけ優しくしてくれる。

甘いチョコレートの日に、
ほろ苦い通知を思い出しながら、私は思います。

報われない努力もある。
それでも、積み重ねは裏切らない。

また挑戦するかもしれない。
しないかもしれない。
けれど、もう一度学ぶことは、悪くない。

六十代の机の上には、
若い頃にはなかった“経験”という財産が静かに積み上がっているのです。

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