マンションだから、遺影を飾れない。
仏壇を置くスペースがない。
線香の煙も気になる。
それは、供養を怠っていることになるのでしょうか。
都市生活は整っています。
しかし同時に、「置けない」という制約の中にあります。
前回#1では、都市部の仏壇問題を書きました。
#2では、支援が管理に変わる境界について考えました。
そして今回、私はもう一つの問いに出会いました。
「置けないなら、置ける形をつくれないか。」
今年、TAIGA恩送りファンドの実験として、
1社を選び、伴走を始めました。
その事業は、遺影イラストを提供する事業です。
写真そのままではなく、
やわらかい線と色で描き直す。
部屋に自然に溶け込む。
リビングに置いても違和感がない。
“祀る”というより、“そばにいる”。
マンションに仏壇は置けなくても、
小さなフレームなら置ける。
デジタルデータなら持てる。
サイズも、色味も、暮らしに合わせられる。
供養を「形式」から解放し、
「関係の継続」に戻す試みです。
私はこの事業に、返済不要の恩送りファンド資金を提供しました。
融資でも、投資でもありません。
返済義務はありません。
なぜか。
制度の中では測りきれない価値があると感じたからです。
遺影イラストは、
売上規模だけで評価する事業ではありません。
けれど確実に、
都市生活者の罪悪感を軽くする力がある。
「ちゃんとできていない気がする」
その心の重さを、少しほどく。
私は資金だけでなく、
構想整理や価格設計、言語化の支援もしています。
しかし常に問い続けています。
どこまでが支援で、どこからが管理なのか。
#2で書いたように、
善意は簡単に過干渉へ変わる。
このファンドは、
事業をコントロールするための資金ではありません。
事業者の意思を強くするための資金です。
マンションに遺影を置けない人が、
それでも心の中で故人と対話を続けているように。
制度に乗らない小さな事業も、
それでも社会とつながろうとしている。
恩送りとは、
返してもらうことではありません。
次の誰かに、やさしさが循環することです。
この遺影イラスト事業も、
いずれは受け取った支えを、
別の誰かに手渡していくでしょう。
供養の形が変わる時代。
支援の形もまた、変わるべきかもしれません。
マンションに遺影を置けなくても、
供養は成立します。
制度に合わなくても、
挑戦は成立します。
形がなくても、
関係は続く。
TAIGA恩送りファンド実験は、
その小さな証明です。
まだ始まったばかりの実験です。
これから課題や難題も出てくるでしょう。
その過程も含めて、正直に、このコラムでお伝えしていきます。

