この企業は、神奈川県川崎市に本社を構える「日本理化学工業株式会社」さんです。今の50代の方々が生まれる前から、60年間以上に渡り障害者雇用を続けている歴史ある会社です。
参照:日本理化学工業株式会社_キットパス・ダストレスチョークの製造販売 – nihonrikagaku_web
私がこの会社を知ったのは、前会長である大山泰弘氏の著書「働く幸せ」の道に触れたことでインターネットにアクセス、海外へも十数か国へ商品を輸出するグローバル企業でもあります。同社は昭和12年に創業し、最初は障害者の方々を採用した経験がなかったことから養護学校の先生にはお断りをされていたそうですが、昭和34年に知的障害のある学生の就労体験を受け入れ、その後障害者雇用を続けています。2023年12月末時点で、67名の知的障害者の方々が同社で働いています。
当時の代表が禅寺の僧侶から「福祉施設で面倒を見てもらうことが幸せではなく、働いて役に立つことが人間を幸せにする」という教えを受けたことが、障害者雇用を進めるきっかけとなったそうです。
日本には、知的障害者を積極的に雇用し、持続可能なビジネスを展開している企業が多く存在しますが、同社では、全従業員93名中67名が知的障害者で、彼らの能力を最大限に活かした業務に取り組んでいます。このように、知的障害者の継続雇用を促進しながら社会貢献も果たすビジネスモデルにより、安定した事業運営を実現しており、社会的にも高く評価されています。
同社が成功を収めた背景には、知的障害者の一つの作業に対する集中力や持続力を企業活動にうまく活かした点が挙げられます。また、彼らに適した作業環境を整えることで生産効率が向上し、高品質な製品を安定的に提供できるようになっています。この事例は、単なる雇用の場を提供するだけでなく、働くことによって個々の可能性を引き出すことが企業の成長にも繋がることを示していると思います。
ベトナム時代に慰問させていただいた施設のシスターから、「手厚い庇護がある間は食事も住むところもまだ安心できますが、施設を出た後の彼らが生きていくための仕事先をどうにかしてあげたい。福祉は寄付ではなく投資で」というお話を伺ったことを、改めて思い出しました。 私は小さな縫製工場を立ち上げ、施設の方々に縫製をお願いし、その商品を日本で販売する雑貨店をオープンしましたが、私の場合はうまくいきませんでした。日本理化学工業さんの取り組みをインターネットで拝見し、彼らが働きやすい環境を整えられなかったことを反省しています。
ただ、この事例は非常に示唆に富んでいると思います。 セカンドライフの起業には、社会貢献と経済的安定を両立させることが一つのテーマとなることが多く、知的障害者の雇用を通じたビジネス事例は、事業活動が社会活動に直接貢献する理想形の一つとして考えられます。極小起業であっても、既存のビジネスモデルの枠では図れない新しい価値観が重要で、地域社会や社会的なニーズに応えるビジネスモデルを導入することで、単に利益を追求するだけでなく、長期的な持続可能な成長を目指すことが可能になると思われるからです。
定年退職後に地域社会や社会貢献、福祉活動に関わりたいと考える場合、知的障害者や高齢者、さらには他の弱者を対象にしたビジネスは、充実感を得ながら安定した収入を得る手段となり得ると思います。さらに、このようなビジネスは人材不足の社会的問題に貢献できるだけでなく、地域に密着した運営が可能となり、強い支持を築くことができると思います。
50歳を過ぎて得た経験や人脈を活かせば、社会に価値を生み出しながら、自身の成功も目指せる持続可能なビジネスの実現は、60年前の日本理化学工業さんのおかれていた環境と比べて、現在はインターネットやSNSの普及もあり、当時より難しくはないのではと思います。 わたしもベンチャーキャピタルファンドでリベンジをと考えています。