かつてプロ野球界のスーパースター、長嶋茂雄さんが20歳代から38歳までの現役時代を通じて数々の感動を与えてくれたように、私たちはある時期に輝く「スター」に心を動かされます。
しかし今回は、60歳を過ぎてから本領を発揮し、世界的なビジネスを築き上げたセカンドライフのスーパースター”の一人に注目してみたいと思います。
その名は、ケンタッキーフライドチキンの創業者、カーネル・サンダース氏です。
波乱に満ちた若き日々
ハーランド・デイヴィッド・サンダースは1890年、アメリカ・インディアナ州に生まれました。幼くして父を亡くし、わずか10歳で学校を辞めて働き始めます。生活のために職を転々とし、農場労働者、路面電車の車掌、蒸気機関車の整備士、保険のセールスマン、ガソリンスタンド経営と、まさに“職業ジプシー”のような人生を送っていました。どれも長続きせず、商売も順調とは言えなかったのです。
しかし、そんな彼にも一つの特技がありました。それは「料理」、とりわけフライドチキンです。1930年代、彼はガソリンスタンドに併設した小さな食堂で、自慢のチキンを提供し始めます。これが、やがて“ケンタッキーフライドチキン”の原型となるのです。
60歳を超えて、まさかの挑戦
しかし、すべてが順風満帆だったわけではありません。彼が60歳を迎えた頃、州を通る高速道路の開通によって食堂の客足は激減し、サンダースは店を手放すことになります。当時の所持金はわずか105ドル。普通なら「もう引退だ」と諦めるところでしょう。
しかし、サンダースは違いました。「このチキンには価値がある」と信じ、チキンのレシピを持って、アメリカ中を車で回り始めたのです。モーテルに泊まりながら、レストランのオーナーに「私のレシピでフライドチキンを出しませんか?」と営業をかけていきます。なんと1009回断られ、1010回目にようやく契約が成立したというエピソードは、彼の粘り強さと信念の象徴として語り継がれています。
世界を変えた「信じる力」
1964年、サンダースは73歳にして、KFC(Kentucky Fried Chicken)を全国チェーンとして展開する権利を企業に売却します。以降、彼はその会社の「広報担当」=ブランドの顔として活躍し、白いスーツにステッキを携えた“カーネルおじさん”の姿は世界中に浸透していきます。今ではKFCは、140以上の国と地域で2万店舗以上を展開する巨大企業となりました。
サンダースが我々に示したのは、「年齢は挑戦の壁ではない」ということ。むしろ人生経験の積み重ねが、深みのあるサービスや製品に結びつくのです。60歳からの起業が遅すぎるどころか、むしろ「ちょうどいい」とさえ言えるのではないでしょうか。
50代・60代からの“セカンドライフ”に向けて
カーネル・サンダース氏の人生から学べることは、以下の三つに集約できると思います。
- 自分の得意なモノ、信じるものを持ち続けること
サンダースは、自分のチキンの味に絶対の自信を持っていました。商品やサービスに対する“根拠のある自信”は、何歳からでも武器になります。 - しなやかに変化すること
何度も職を変え、挑戦を繰り返した経験が、後年の成功につながっています。50代・60代は、経験という資産を持ち、変化にも柔軟に対応できる貴重な年代です。 - 諦めないこと
1009回断られても、サンダースは諦めませんでした。起業や新しい挑戦には“粘り”が不可欠。それを支えるのは、情熱と信念と何か好きなこと=得意な事です。 - 大きなリスクは避ける
小さく始め、持続できるよう出来るだけ内製化する。
今、50歳を迎えて「これからどうしよう」と考える方、60歳を過ぎて「もう遅い」と感じている方へ。カーネル・サンダースの物語は、そんなあなたの背中をそっと押してくれるでしょう。人生100年時代は“サードライフ”にも挑戦しているアクティブシニアが増えているかも・・・まだまだこれからです。
本名は、ハーランド・デイヴィッド・サンダーズ(Harland David Sanders、1890年9月9日ー1980年12月16日)は、アメリカ合衆国の実業家。ケンタッキーフライドチキン(KFC)の創業者。愛称のカーネル・サンダース(Colonel Sanders)で知られています。
「カーネル」(Colonel)は名前でも、軍隊の階級である大佐でもなく、ケンタッキー州に貢献した人に与えられる「ケンタッキー・カーネル」という名誉称号(名誉大佐・名誉州民)です。日本では「カーネルおじさん」「ケンタッキーおじさん」の愛称が定着しています。
出典:カーネル・サンダース – Wikipedia