歳を重ねるにつれ、「もう無理かもしれない」「今さら遅い」と、つい自分の可能性に蓋をしてしまいそうになることはありませんか?
かく言う私自身も、60代になってから起業をし、日々葛藤や不安を抱えながら小さな挑戦を続けています。そんな時、私に大きな勇気を与えてくれる人物がいます。それが、遠山正瑛(とおやま せいえい)さんという日本人です。
参照:内モンゴル自治区にある遠山正瑛記念館
遠山さんは、なんと80歳で単身中国に渡り、砂漠地帯の緑化に挑んだ人物です。
1991年、当時の中国北部、モンゴルとの国境にある「恩格貝(おんかくばい)」と呼ばれる土地に足を踏み入れました。そこは「死の土地」と呼ばれるほど過酷な環境。貧困に苦しむ人々が暮らし、作物も育たず、風が吹けば砂嵐が町を襲うような場所でした。
遠山さんがこの地に挑んだのは、実に35年前の若き日の記憶がきっかけでした。
彼は28歳の時、京都大学の助手として、外務省から派遣され中国に渡ります。大飢饉に苦しむ2000万人以上の人々と出会い、食糧問題の根本である「土地の改善」、すなわち砂漠の緑地化の必要性を痛感しました。しかし、志半ばで日中戦争が勃発し、やむなく帰国します。その後は農学者としての道を歩み、大学を定年退職します。
そして日中国交正常化の翌年、彼は80歳にして、かつての夢を果たすため中国に再び渡ったのです。
私財を投じて財団を設立し、寄付を募って「5年で100万本の植林」という前人未到の目標を掲げました。当時の中国は、まだ反日感情が根強く、何度も妨害を受けました。大洪水で苗木が流され、スパイ容疑をかけられたこともありました。それでも遠山さんは、一歩一歩、着実に緑地化を進めていきました。
その努力の末、死の土地は「命の森」へと変わり、人々の暮らしに希望の光が差し込みます。
そして、遠山さんの功績はやがて時の中国国家主席・江沢民の耳にまで届きます。
彼は、日本人でありながら、中国で“生前に”銅像を建てられるという栄誉にあずかります。これは中国史上、毛沢東主席に次いで2人目という驚くべき快挙です。
また、彼の活動はアジアのノーベル賞と呼ばれる「マグサイサイ賞」を受賞するなど、国際的にも高く評価されました。
遠山さんは97歳で生涯を終えましたが、その人生は「年齢に限界はない」ということを、身をもって私たちに教えてくれました。
私は、迷いや不安に心が折れそうになったとき、遠山さんの伝記を読み返します。
“たった一人であっても、人は社会を変える力を持っている”
そんな希望を思い出させてくれるからです。
もちろん、私たちが遠山さんのような大きな功績を残すことは難しいかもしれません。けれども、自分にできる範囲で、社会に貢献できる道は必ずあるはずです。たとえば、誰かの話を聴くこと、知識や経験を伝えること、地域の活動に参加すること、あるいは起業という形で新しい価値を生み出すこと──それらすべてが「第二の人生」における立派な挑戦です。
50代という年齢は、決して「終わりの始まり」ではありません。むしろ、これから新しい人生を設計し直す“はじまりの年齢”です。人生100年時代を迎えた今、50代・60代こそが「第二の主人公」になれるチャンスなのです。
遠山正瑛さんのような偉人から学びつつ、私たちは私たちなりの小さな一歩を無理なく踏み出すところから始めれば良いのだと思います。社会の役に立つことで、自分自身の生きがいもまた深まっていくはずです。年齢を言い訳にせず、むしろ「今だからこそできること」がある──そう信じて。
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