写真は #スペイン広場です。1983年3月、当時24歳だった私は広告代理店で働いており、ある特別な機会に恵まれました。

それは、オードリー・ヘプバーンさんのイベントの裏方として2日間お手伝いするという仕事です。彼女はすでに「ローマの休日」で世界的な名声を得ていましたが、その時の来日の目的は映画のプロモーションではなく、フランスのデザイナー、ジバンシーさんのメゾン設立30周年記念イベントでした。彼女はファッションアイコンとしての影響力も大きく、有名百貨店がこの特別なイベントに彼女を招待したのです。私は、そのイベントの衣装管理や裏方作業、そして通訳として関わることになりました。

その時、50代のオードリー・ヘプバーンさんは、単なる女優ではなく、ユニセフの親善大使としてアフリカやカンボジアでのボランティア活動にも情熱を注いでいることを知りました。彼女の温かさ、思いやり、そして世界のために尽くす姿勢に深い感銘を受けました。短い時間でしたが、同じ空間を共有させて頂いたその2日間は、私にとって忘れられない思い出となりました。

オードリー・ヘプバーンさんは、挑戦を恐れず、困難だと思われることにも果敢に立ち向かう姿勢を持っていました。彼女の言葉で特に印象に残っているのは、「不可能という言葉(Impossible)は、実は『私は可能(I’m possible)』と言っているのです」というフレーズです。女優としての名声に満足することなく、新しい挑戦に取り組み続けた彼女の姿勢は、私にも強い影響を与えました。彼女は常に前向きで、年齢を重ねてもなお輝き続けていたのです。

デザイナーユベール・ド・ジバンシーさんの披露するファッションショーと一体化し多くのファンが魅了され、彼の存在感はまさに世界一流のデザイナーそのものでした。198㎝の長身で、足の長さが私の肩の位置ほどに感じられるほど圧倒的なスタイルを持っていました。彼もまた50代でありながら、世界の第一線で活躍していたのです。 しかし、当時20代だった私は、50代という年齢がとても遠く、人生の終盤と言うようなイメージを抱いていました。

それから40年後、私は60代を迎え、時折「あの時からたとえ小さくても挑戦を続けられてきたのだろうか」と振り返ります。日本は「失われた30年」と呼ばれる時代を経て現在に至り、その間に働き方や生き方、価値観は多様化してきました。人生100年時代が現実となる中で、50代という人生の折り返し地点からどのようにセカンドライフをデザインするかが重要な課題となっています。50代を迎えてもなお、新しい挑戦を続けることができるかどうかは、簡単なことではありません。しかし、これからの時代においては、社会人として生涯現役でいることを目指して、早めに準備をしておくことが大切だと思います。

起業や新しい挑戦は「Impossible(不可能)」と感じられるかもしれませんが、もしかしたらそれは「I’m possible(私は可能)」と自分に言い聞かせる機会なのかもしれません。今一度、みなさんのセカンドライフをどのようにデザインするか、新しい一歩を踏み出すことについて考えてみてはいかがでしょうか。挑戦できるかどうかは年齢ではなく、心の持ち方次第だと思います。が、その葛藤は、私自身も経験者としてよく理解していると思います。 まずは、極々小さな起業からでも・・・

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次