昨日から、自由が丘の盆踊り大会が始まりました。今年も駅前ロータリーにはやぐらが立ち、色とりどりの提灯が夜風に揺れています。浴衣姿の方も多く、外国の方や若者たちの姿も目立ち、街全体が熱気と笑顔に包まれました。
私も家族総出で、そして愛犬も一緒に、参加してきました。都会の真ん中で、地元の人たちと肩を並べて踊るこのひとときは、どこか懐かしくもあり、どこか新鮮でもあります。昔ながらの「東京音頭」や「自由が丘小唄」などの伝統曲に加えて、YOASOBI「夜に駆ける」、back number「高嶺の花子さん」、荻野目洋子「ダンシング・ヒーロー」など、若い世代にも親しみのあるJ-POPが踊り曲に取り入れられているのが自由が丘盆踊り大会の特徴です。
18時10分~19時までの子どもの部やステージでは地元の団体が日頃の練習の成果を披露し、踊りの合間には青木区長も飛び入りで踊っておられました。盆踊りという伝統文化が、地域のつながりや世代を越えた交流の場として機能していることを肌で感じる場面でした。
今日(7月20日)、明日(7月21日)とこの祭りは続きます。もしお近くにお住まいでしたら、ぜひ一度足を運んでみてください。踊らなくても、ただやぐらを囲んで浴衣姿の人々を眺め、太鼓の音を聴きながら屋台の焼きそばやビールなどを味わうだけでも、夏の風物詩を十分に満喫できるはずです。

この盆踊り大会は「温故知新」そのものだと思います。古きをたずねて新しきを知るという言葉のとおり、やぐら太鼓や浴衣といった古典的な要素を大切にしながらも、J-POPや外国の方の参加、子供の部、SNSでの情報発信など、現代的な工夫も多く取り入れられていました。
実際、古典的な盆踊りの曲だけでは、今の若い世代がこれほど熱心に参加することは難しいかもしれません。伝統を守るだけでなく、時代の流れにあわせて柔軟に変化することで、初めて多様な世代が一緒に楽しめる“お祭り”として成立するのだと、やぐらの周りで踊る人々を見ながら感じました。
自由が丘という街もまた、変化と伝統が共存する場です。再開発が進む中で新しい建物が次々と建ち、スタイリッシュなカフェや店舗が立ち並ぶ一方、古くからの商店や路地裏の小さな飲食店も健在です。そんな街で行われる盆踊りは、まさにそのバランスの象徴とも言えるでしょう。
ふと、帰路につきながら思いました。この「守るべきものを守りながら変化を受け入れる」という感覚は、私たち50代60代の世代にも重なるものがあるのではないかと。
人生100年時代と言われる中、私たちはかつての「定年後」の生き方だけでは物足りなくなっています。親の介護、自分の健康、仕事の継続や第二の人生の設計など、課題は山積みですが、逆に言えば今はまだ「現役」として社会との関わりを持ち続けることができる世代でもあります。
だからこそ、私たち自身も変化を受け入れる時期にきていると感じることが多くなっているのかもしれません。昔ながらの価値観を大切にしつつも、今の若い世代や社会の流れに耳を傾け、自分のスタイルを少しずつアップデートしていく。そんな柔軟な姿勢が、盆踊りの輪の流れの中からも感じるような気がします。
阿波踊りの有名な一節「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損損」は、ただ見ているよりも、自ら楽しむことの大切さを教えてくれます。「阿呆」とは、一見すると愚かに見える行動も、主体的に関わることで得られる充実感や喜びを肯定的に捉えた言葉です。人生においても、失敗を恐れて傍観するより、自分で動いて体験するほうが学びや成長があります。つまり、「どうせやるなら、全力で楽しむべきだ」という生き方のヒントが、この言葉には詰まっています。
うまく行く行かないではなく、参加して楽しむことに価値がある。それはまさに、これからの人生の歩み方にも通じるのではないでしょうか。これからも、こんなふうに地域と関わりながら、ちょっとずつ変化を受け入れていく。そんな生き方を目指したいと思った、自由が丘の熱い夏の夜でした。