恩送りファンド実験|#3 マンションに仏壇・位牌・遺影を置きにくい──それは供養を怠っているのでしょうか

マンションだから、遺影を飾れない。
仏壇を置くスペースがない。
線香の煙も気になる。

それは、供養を怠っていることになるのでしょうか。

都市生活は整っています。
しかし同時に、「置けない」という制約の中にあります。

前回#1では、都市部の仏壇問題を書きました。
#2では、支援が管理に変わる境界について考えました。

そして今回、私はもう一つの問いに出会いました。

「置けないなら、置ける形をつくれないか。」

今年、TAIGA恩送りファンドの実験として、
1社を選び、伴走を始めました。

その事業は、遺影イラストを提供する事業です。

写真そのままではなく、
やわらかい線と色で描き直す。
部屋に自然に溶け込む。
リビングに置いても違和感がない。

“祀る”というより、“そばにいる”。

マンションに仏壇は置けなくても、
小さなフレームなら置ける。
デジタルデータなら持てる。
サイズも、色味も、暮らしに合わせられる。

供養を「形式」から解放し、
「関係の継続」に戻す試みです。

私はこの事業に、返済不要の恩送りファンド資金を提供しました。
融資でも、投資でもありません。
返済義務はありません。

なぜか。

制度の中では測りきれない価値があると感じたからです。

遺影イラストは、
売上規模だけで評価する事業ではありません。
けれど確実に、
都市生活者の罪悪感を軽くする力がある。

「ちゃんとできていない気がする」
その心の重さを、少しほどく。

私は資金だけでなく、
構想整理や価格設計、言語化の支援もしています。

しかし常に問い続けています。

どこまでが支援で、どこからが管理なのか。

#2で書いたように、
善意は簡単に過干渉へ変わる。

このファンドは、
事業をコントロールするための資金ではありません。
事業者の意思を強くするための資金です。

マンションに遺影を置けない人が、
それでも心の中で故人と対話を続けているように。

制度に乗らない小さな事業も、
それでも社会とつながろうとしている。

恩送りとは、
返してもらうことではありません。
次の誰かに、やさしさが循環することです。

この遺影イラスト事業も、
いずれは受け取った支えを、
別の誰かに手渡していくでしょう。

供養の形が変わる時代。
支援の形もまた、変わるべきかもしれません。

マンションに遺影を置けなくても、
供養は成立します。

制度に合わなくても、
挑戦は成立します。

形がなくても、
関係は続く。

TAIGA恩送りファンド実験は、
その小さな証明です。

まだ始まったばかりの実験です。
これから課題や難題も出てくるでしょう。
その過程も含めて、正直に、このコラムでお伝えしていきます。

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