私に起業のきっかけを創ってくれたのは、ベトナム駐在時代に社用車のドライバーであったLoiでした。 撮影スタジオで待機している時に撮った一枚の写真が、今でも私の記憶に深く刻まれています。
Loiと初めて出会ったのは、彼がまだドライバーとして働いていた頃のことでしたが、彼の人生は平凡なものではありませんでした。30代で大学に通い始め、努力の末、正社員として採用され、イベントマネージャーに昇進しました。その後、40代で独立し、自らのイベント会社を設立。会社は順調に成長し、約30名のスタッフを抱えるまでになりました。
ドライバーとしてのLoiは、私にとって単なる運転手以上の存在でした。彼と共に、ベトナム各地を、時にはカンボジア国境近くのバンメトートやラオス国境に近いダナン・フエンといったイベント地へと訪れ、舗装されていない道路を砂埃を巻き上げて走る様はまるでパリ・ダカールラリーに参加しているかのようでした(笑)。彼は、私の仕事を支える相棒であり、共に多くの時間を過ごした仲間でした。
ある時、そんなLoiが毎年孤児院を訪れていることを聞き、私も彼に同行しました。その訪問がきっかけで、以後10年間、私は毎年テト(旧正月)にその孤児院を慰問することになりました。当時、その孤児院には幼児から退所年齢の18歳までの93名の身寄りのない子供さんがいましたが、その中でも特にロンという少年と親しくさせてもらいました。彼とは8歳の時からの付き合いで、彼が18歳で孤児院を退所する際には、お祝いの言葉を伝えるためにロンを訪ねました。
その時、孤児院で私を迎えてくれたシスターの言葉が今でも忘れられません。「小さい頃は寄付金や慰問である程度は支援できますが、ここを出て学歴や保護者のバックアップがない状況で職を見つけるのは非常に厳しい。本当に必要な福祉とは、寄付金ではなく、働く場を提供する起業投資なのです」と。その言葉を聞いた時、私は自分が少しの寄付と慰問することで満足していたことを恥じました。
こうした経験が、私が初めて起業を考えるきっかけとなりました。 最初に手掛けたのは雑貨ショップで、孤児たちが作った製品を日本で販売できないかと考えたのです。しかし、2011年の東日本大震災の影響で、その店は閉めざるを得なくなり、その頃から私は漠然とではありますが、セカンドライフは社会に何か役立つような事業で、出来るだけ長く社会と繋がっていたいと考え始めたのだと思います。
Loiとは、2019年まで毎年のようにベトナムで会い、本当の兄弟のように思っていましたが、そんなLoiの人生もコロナ禍で一変しました。彼はスタッフを守るために、基本給の70%を支払いながら2年間全スタッフを雇用し続けましたが、その心労が彼の寿命を縮めることになってしまいました。 今があるのは彼のお陰と感謝していて、伝えるすべがなくこの時期にコラムに載せたいと思った次第です。 しめっぽく感じられたらごめんなさい。